「ルーヴル美術館芸術勉強法」、それは言葉を変えて言うならば、「芸術を考える」訓練をするということです。自分と自分を取り巻く「世界」との関係について深い思索を巡らせた人々の精神の軌跡を読み取り、感じ取るためには、鑑賞者も「芸術を考える」訓練をする、つまり自分の「魂の世話をする」ことが必要です。

「魂の世話をする」という言葉は、古代ギリシアの大哲人ソクラテスが残した言葉で、ソクラテスの弟子プラトンの対話篇『パイドーン』の中に出てきます。紀元前469年に生まれたソクラテスは、前399年に保守的なアテネの人々から糾弾され、死刑の宣告を受けて毒杯を仰いで亡くなりました。毒杯を仰がねばならなくなった最後の日の様子が語られているのが、『パイドーン』です。

古代ギリシアには、二大聖域と呼ばれる場所がありました。それは、オリュンピアとデルフォイで、オリュンピアでは最高神であるゼウスを祭り、デルフォイではアポロンが祭られていました。ソクラテスが30才代の頃のことですが、カイレポンという弟子がこのデルフォイに行って、おうかがいを立ててみると「ソクラテスがギリシア中で一番賢い人物である」という神託が為されたというのです。ソクラテスは普段から自分は無知であると自覚していたので、思いもよらぬことだと驚いて、きっと神は謎をかけているに違いないと考えました。そして、この謎を解くため、自分以上の知者、賢い人を探しにアテネ中を遍歴しました。しかし、他の人からも知者と言われている人ですら、自分と同じように肝心なことは実は何も知らない、無知に近いことが分かりました。

「アルテミシオンのゼウス(ポセイドン)」
神と人間のドラマ : 西洋美術は神を知らしめ、人間を知らしめ、両者の関係をも知らしめる。

古代ギリシアの人々にとって、神は絶対的な存在であり常に正しいのであって、デルフォイの神託が間違っていることはありえない。そこで、ソクラテスは考えました。ソクラテスも他の知者と言われている人も無知であることにおいて変わりはないが、唯一違っているのは、自分は自分が無知であることを知っているが、他の知者と言われている人は自分が無知であることを知らない。つまり、この「知らないということを知っている」というわずかな点において、自分の方が知者であると神は言っているのだと悟ったというのです。

ソクラテスは、神はこの「無知の知」を、彼を通じて人々に知らせようとしているのだと解釈し、この神から授かった仕事を天職として、生涯をこの仕事に捧げようと決めました。そして、それを対話(ダイアロゴス)という方法を通じて、明らかにしようとしました。dia(分かつ)logos(言論)、つまり言論を区切って、一つ一つ相手の同意(ホモロゴス)を得、論を進める、これがソクラテスの対話のやり方でした。正義・勇気・節度など人間の心の中の善いもの、諸々の徳というものの変わることのない本質「善のイデア」、あるいは「真、美のイデア」を問うという問いを投げ掛けることによって、相手の思い込み(ドクサ)を取り出して、その思い込みが間違っていることを自らの知によって悟るように、対話を導いていく。相手が間違っているからといって、決して自分から答えを出すようなことはせず、「自分は精神の産婆であって、答えを産むのは君達なのだ」と言い、相手が自分自身で気づくことを待つという方法を取ったのです(ソクラテスの産婆術)。

「エーゲ海、ティラ(サントリーニ)島」
「地中海には霧の悲劇とは異なった太陽の悲劇がある。ある夕べ、完璧な曲線を描いた小さな湾の上に夜のとばりがおちる。その時、沈黙した水から、一つの苦悩に満ちた豊かさが立ち上ってゆく。人はギリシア人が絶望にふれたのは、つねに美と、美のもつ胸をしめつけられるようなものを通してであったことを理解する」(アルベール・カミュ)
エーゲ海が美しければ美しいほど、ギリシア人はそこに生の輝きと死の悲しみを見たのかもしれない。

つまり、そのやり方によって何が見えてくるかと言えば、人間は知っていることは知ろうとしない、無知を自ら覚って初めて、知ろうとする欲求、知の探究に向かっていくということです。そして、これが、愛知、知を愛すること(=フィロソフィア=哲学)の第一歩だと考えました。よって、それは現代の私達が考えるような、学説の構築としての哲学ではなくて、知を愛し求める生き方そのものだったということです。ソクラテスは「魂の世話をする」ことこそが、人生におけるやらねばならない一番大切なことなのだと言っています。

この知の探究に向かっていくということは、それは結局、自分は何なのだ、何のために生きているのかと問うことに繋がります。また、他者を知ることによって自分を知る、自分を知ることによって他者を知るという、言い換えれば、この宇宙のすべてを知ることによって自分を知る、自分を知ることによってこの宇宙のすべてを知るということでもあります。「生涯、知を愛し求め続けるという人間としての新しい生き方」を提示したソクラテス、彼が「魂の世話をするということは、自分自身を大切にすることである」と言っているのは、そういう意味なのです。